「物語を本屋の中心に置くこと」

本屋をやろうと考えた時に、最初に浮かんだのはこの言葉だった。
ここでいう物語とは、文学を中心とした「フィクションの本」のことで、小説とエッセイ、絵本、詩や短歌などその関連の本の事を指す。

最初に本屋について考えたのは、編み物教室兼毛糸店としてお店をオープンした2016年頃。空いているスペースに自分の好きな本(主に海外文学)を並べたらそれは楽しいだろうなと思っていた。でもそれと同時に「その本は一体だれが買うのだろうか?」という疑問には答えられず、経営上良いイメージを持てなかった。僕らの周りに積極的に文学、特に海外文学を読んでいる人はほとんどいなかったから、どうしても買う人のイメージが持てなかった。
「おそらく楽しいが、本屋の運営は不可能だろう」それがその時の判断だった。その判断は全然間違っていなかったと今でも思う。

今年、本屋を開いて2カ月と少し経つ、想像以上にしんどい日々だと思う。「小説の売れなさ」は予想通りとも言えるし、そうでもないなと思う日もある。
そもそも本そのものを読まない人はたくさんいるが、それなりに読む人がいる感触がある。少ないなりに「実は好きなんです」という方がいると「ほっ」とする。もちろん、生活の本やアート本も好きで、そもそも本なら何でも好きということはあるけれど、とにかく「歯をくいしばって」物語をずっと置きたいと思っている。

どうして物語なのかというと、それは「どうして小説を書くのか」というのとそんなに違わない気もする「心がいろんな方向に揺さぶれられるのが楽しい」そしてそれを「必要な人が大勢いる」から。特に昔から誰かと話している時に思うことがある「みんなフィクションが足りてない」と。何をえらそうにと言われそうだけれど、どこか想像力が足りないような気がしょっちゅうしている。特定の誰かというわけではなく、社会として集団として。ふいにそう思うことがある。想像力を誘発する優れたフィクションが足りていない。そして頭の中の想像をもたらすのに適しているのは経験上「文字の物語」だと思える。
ちなみに、僕は絵画も音楽も映画や漫画も大好き(映画製作もしてたぐらいだし)だ。それでも、小説が別格だ。

逆に言うと「文字の物語」のない世界を想像することができない、ストーリーが文字で語られない世界はどんなだろうか。ドラマやアニメだけの世界はどんなだろう。
もちろん現実の世界にも物語はたくさんあるし、日々起きていることは物語だらけだ。が、それを理解することは本当は難しい。あの「コロナ」がいったい何だったのかというのを最も理解できたのは「デカメロン・プロジェクト パンデミックから生まれた29の物語」という本を読んだ時だった。29の物語がコロナが何だったのか漠然と、それこそ漠然と把握させる。事実の積み重ねだけでは何故かそれができない。答えのない疑問に答えられない。ふわっとした小説がストレートにふわっと状況を把握させる。

僕は思う、僕たちはもっと他人になってみるべきだ、違う人間になってみるべきだ。違う国へ行き、違う時代へ行き、違う惑星へ行き、違う性別になり、違う生き物になり、違う言葉を話してみるべきだ、違う仕事をして、違う考えを考えるべきで、違う死を迎えるべきだ。それがうまくできるのが「文字の物語」だとずっと思っている。何しろあの小さい紙の束だけで、いつでもどこででもできる。鞄にいれておけば今すぐにでも。電子本もあるけれどできれば紙が良い。あの手触りが、めくる音が必要だ。それは世界をドライブするささやく伴奏だから。

子どもたちに、親がこぞって絵本を送ろうとするのは何故だろう、読み聞かせしたいのは何故だろう。自分が本を読まなくてもそうするのは何故?
勉強ができる子になって欲しいからだろうか、かしこくなって欲しいから?それだけではないよね、たぶん。
優しくて強い子に育って欲しい、物の分かる子になって欲しいと願うから?でも本当は面白いから。想像力が身につくと信じているからじゃないか。

聞けば一日に300冊もの本が出る。僕が追う事ができるのはそのほんの一握り。だからこそ「物語」を多く選びたい。
お店で「これ全部読んだんですか?」と良く聞かれるが、当然そんなことはない。無理です。
最初は7割程度だったけれど、たった2カ月でおそらく半分も読んでいない状態になった。
読んでないけれども、センサーに引っ掛かった本しか置いていない。「自分の家の棚のコピー」は卒業したように思う。でもそれで良いと思う。僕も冒険がしたい。
新しい本が好きだし、まだ読んでいない未知の優れた全ての本が好きだと思う。

そして個人のお店は個人店主の場所でもあるが、やはり何と言ってもお客さんの場でもある。共同の場だと思う。たった2カ月でも色々と教えてもらった。
読みながら、売りながら「これどうでした?」って聞くのが楽しい。こんなふうに面白かったよと話してもらうのが。

本屋をはじめたのだから、なるべく長く続けたい。僕が書店担当としてできることは基本的に「この本が面白い(面白そう)」とあの手、この手で伝えることのみ。
個人でやっている店なのだから、それしかない。他には特にない。大型店やAmazonは確かに便利だけれども、そこで買うのではなく、薦めた本に共感や興味を持たれたら、うちで購入してほしい。あなたのその一度の「お買い物行為」が、僕に店を続ける勇気をもたらしてくれます(冗談抜きで本当にそうです)。

というわけで、うちの本屋は「物語の本」がメインです。どこまでもメインです。忘れないようにここで宣言しておきます。
時々弱気になりますが、宣言しておきます。
といいながらも、うちの最大(本)派閥は「編み物の本」だったりします。編み物本はとにかくたくさんありますのでよければどうぞ。

年末で一度、どういう本屋を目指しているのか書いてみました。まず自分が忘れないために。

2023年12月27日
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「羊座の優雅な午後」は本担当の折小野和広が書いているブログです。
 本のこと、お店のこと、日々の生活のことなどを書いています。